晴れの日は庭に出よう
あんまりいい写真が撮れなかったけど・・・
せっかくいいお天気なのでたまには庭のテーブルでPCいじってみようかなって思いました。
こっちは冬っていっても、冬のように寒いのは早朝とか夜中だけだと思う。
日中はそよ風が吹いて春の陽気。
先日祖母が亡くなって日本に一時帰国しました。
その前から若干傷心気味で家の中に引きこもって居たけれど、戻ってきてからも仕事がない日は日の当たらないほぼ部屋に引きこもっていて、このままじゃいかん、と思い出たのが庭先・・・という笑
オーストラリアの家の構造は夏の暑さに対しての構造なので、冬めっちゃ寒い!
パースに行きますって言った時日本の知り合いに日本みたいな冬じゃないから心配いらないわよ!って言われたけど、まじ住んだことのない人の言葉は信用してはいけません!
日本みたいな冬じゃないものの、寒さに対する対策が部屋にほぼなされてない上に電気代が高くてやたら電気ストーブやエアコン使えない国なので私はゆたんぽ2個買って頑張って居るぜ・・・。
【おばあちゃんの急逝の話】
おばあちゃんは明け方の心筋梗塞で誰にも見とられぬままあっさりと帰らぬ人になってしまった。享年86歳でした。
生前から誰にも迷惑をかけたくない、病院嫌いだから絶対入院したくない、ボケて迷惑をかけて孫に嫌われて死にたくないと言って居たので、1日も床に伏す事なく有言実行の最後でただただ凄いと言わざるおえない・・・でも残された家族は寂しさでいっぱいです。もうちょっと、あとちょっとでいいから長生きして欲しかった・・・。
おばあちゃんが亡くなってから、しばらく不意に涙が止まらなくなることがあり、電車の中、バスの中、飛行機の中、お風呂の中で泣きまくってたけど、ある日ブログにエントリーするつもりでおばあちゃんへの思いを文章にしたら少し心が落ち着いてそれ以降泣けて仕方がないって事はなくなった。
おばあちゃんは数年前にもうすでに自分が死んだ時のことを考えてエンディングノートっていうのかな?を書き終えていて、それに沿って無事送り出すことがことができました。
野辺の送りをしてほしい・・・という言葉とは裏腹に町長と隣の町長が通夜に来てくれるという立派なものになってしまいましたが・・・(私がびっくりした)。改めてこの地方に代を重ねた家なんだな・・・と思いました。親戚付き合いが少ないので私は誰が誰だかわかんないのが恥ずかしく、ずっと3人の妹たちと過ごして居ました。
おばあちゃんのエンディングノートには自分史のような人生の嬉しい出来事悲しい出来事が書いてあって、それを読むとより一層寂しい気持ちになりました。特に人の死に関しては私の生家は不幸が重なった時期があったので・・・読んで居てとても辛かった。おばあちゃんは写真を撮るのは大嫌いだったので、最近もしくは昔の一緒に撮った写真というのはほぼないんですが、あの元気で陽気な声が今でも脳裏にこびりついて、忘れようったって忘れられません。パワフルでポジティブで優しくて何事にも物怖じしないすごい人でした。
おばあちゃん、あなたの様にはとても生きられない(断言できる)ですが、大きな悲しみを乗り越えて日々の幸せとともに人生を全うした姿をいつまでも誇りに思い、私も腐らず生きたいと思います。
ありがとう!!さようなら!!(エンディングノートの一節から拝借。)